猪の美味さを初めてはっきり味わい知ったのは、私が十ぐらいの時のことであった。当時、私は京都に住んでいたが、京都堀川の中立売に代々野獣を商っている老舗があって、私はその店へよく猪の肉を買いにやらされた。
私の家は貧乏であったから、猪の肉を買うと言っても、ごくわずかな買い方をしていた。まあ五銭ぐらい持って買いに行くのが常であった。もっとも、当時は牛肉ならば鹿の子(東京でいう霜降りロースに当る)が三銭位で買えた時代であるから、五銭出すというのは、猪の肉だけに奮発したわけなのである。だが、それにしても猪の肉をわずか五銭ばかり買いに行くというのは、豪勢な話ではない。ただ肉を食いたいというだけなら、その金で牛肉がもっと買えるのだから、そうしたらよさそうなものだが、牛肉の時には三銭買い、五銭持った時には猪を買いにやらされたところをみると、私の養父母も、どうやら美食を愛した方だったのだろうと、今にして思うのである。
西も東も分らぬ子ども時代から、食いものだけには異常な関心を持っていた私は、この使いとなると、非常に心が勇み立ったのを憶えている。ピカピカ光る五銭玉を握って肉屋の店先へ立ち、猪の肉を切ってくれる親爺の手許をじっと見つめながら、今日はどこの肉をくれるだろう、股(もも)ったまのところかな、それとも腹のほうかな。五銭ばかり買うのだから、どうせ上等のところはくれまいなどと、ひがみ心まで起こしながら、いろいろ空想していたことを、今でもきのうのことのように覚えている。そうしたある日のことだった。いつものように店先に立って見ていると、親爺が二寸角ぐらいの棒状をなした肉を取り出して来て、それを一分ぐらいの厚さに切り出した。四角い糸巻型に肉が切られて行く。その四角のうち半分ぐらい、すなわち、上部一寸ぐらいが真白な脂身で、実にみごとな肉であった。十ぐらいの時分であったが、見た時にこれは美味いに違いないと心が躍った。脂身が厚く、しっかりしている。肩の肉か、股の肉か、その時は分らなかったが、今考えてみれば、おそらく肩の肉、すなわち、豚肉で言う肩ロースであったと思う。その代り、親爺はそれを十切れぐらいしかくれなかった。子ども心にも非常に貴重なもののようにそれを抱えて、楽しみにして帰って来た。うちの者も、その肉の美しさを見て非常によろこんでいた。早速煮て食ってみると、果せるかな、美味い。肉の美しさを見た時の気持の動きも手伝ったことだろうと思うが、食道楽七十年を回顧して、後にも先にも、猪の肉をこれほど美味いと思って食ったことはない。私は未だにそれを忘れない。私が食物の美味さということを初めて自覚したのは、実にこの時であった。 (昭和十年)
食肉用に人間の手によって作られた肉と違い、自然の物だけを食べて育った本当の意味でオーガニックな良質なタンパク質を含む優れた栄養のある食べ物です。
ともにビタミンやミネラルなどの栄養をバランス良く含み、糖質の代謝を助けエネルギーをつくり出し疲労回復に役立ち細胞の新陳代謝を促進し、皮膚や粘膜の健康維持をサポートしたり、脳神経を正常に働かせ、動脈硬化を予防しストレスをやわらげる働きがあります。そして、貧血を予防し、細胞の生まれ変わりや、新しい赤血球をつくり出すために欠かせないビタミンも含みます。さらに、活性酸素の発生や酸化力を抑え、動脈硬化、皮膚や血管の老化を防ぎ、免疫力を高めてくれます。また、骨や歯を構成するのに必要なミネラルも含み、利尿作用、高血圧の予防にも役立ちます。
猪肉の脂肪分は良質で豚肉の半分以下、鹿肉は高タンパクで低脂肪、鉄分を多く含んでいることから生活習慣病などの病気の予防につながる食品として注目されるようになってきました。